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推量の「ようだ・みたいだ」ってどういうときに使うんだろう?
オンライン日本語教師のちゃそです!
「ようだ」「みたいだ」は、日本語でよく使われる推量【状況からの判断を表す】表現です。
「みたいだ」は「ようだ」の話ことば的表現で、硬い文章には「みたいだ」は使いにくいです。
どちらも「見たこと・聞いたこと・感じたこと」など、 自分の感覚や経験をもとに、「たぶんこうだろう」と判断するときに使います。
この記事では、「ようだ・みたいだ」の“推量”の使い方にしぼって解説します。
「ようだ・みたいだ」は“自分の判断”を伝える表現
「ようだ・みたいだ」は、「推量」を表します

推量ってどういう意味?
「推量」とは、はっきりとはそうだと断定できないことを、「たぶんこうだろう」と考えることです。
「ようだ・みたいだ」は
- 自分の見たこと
- 聞いたこと
- 感じたこと
- 今までの体験・経験
などをヒントに想像したり予想したりして「こうだと思う」と判断するときに使います。
ここでいう「経験」は、いま目の前で起きたことだけでなく、 過去の体験や普段との比較も含みます。

五感や体験・経験など、いろいろ判断材料があるんだね!
ちなみに、「推量」といっても、ただ想像で話しているわけではありません。
「ようだ・みたいだ」は、自分の五感や経験をもとに「たぶんこうだろう」と判断する表現です。
判断のもとになっている情報や根拠があるため、確信度が高いことも少なくありません。
つまり、「推量」は「完全な想像」ではなく、 観察や体験などの情報をもとに「自分なりにこう思う」と判断して伝える言い方なのです。

なんとなくのフィーリングで考えたわけじゃないんだね
推量「ようだ・みたいだ」の使い方
使い方を見てみましょう。
自分の五感や経験をもとに「たぶんこうだろう」と判断する表現です。
ここではいくつかの判断基準に分けて例文を出していますが、かっちりと分けられるものではないです!
参考程度にしてみてくださいね!
- Aさんはうれしいようだ/Aさんはうれしいみたいだ
- Aさんの表情や態度を見てそう考えた
普段はあまり感情を表に出さないAさんという人がいるとします。
そんなAさんが、少しだけ頬をゆるめているのを見たとしましょう。
Aさんを知らない人から見ると、Aさんが「楽しい」感じはしないかもしれません。
でもAさんをよく知っている私から見ると 「Aさんは楽しいみたい」だと感じます。
このように見た目だけじゃなくて、“これまでの経験”にもとづいて判断することができます。

でもAさんの本当の気持ちは、Aさんにしかわからないよね?

はい、自分以外の人の本当の気持ちはわからないですよね
👉第三者の気持ちなどは 「○○のようだ」「○○みたいだ」と伝えます。
- 夜になっても王さんの部屋の電気がついている。 王さんはまだ勉強しているようだ。/みたいだ。
- 目で見たことや、普段と違う情報がヒントになっている
いつも夜になると電気が消えているのに、今日はついている。
だから「王さんはまだ勉強している」と考えました。

「電気がついている」のは目でみたことだし、いつもこの時間は王さんは寝ているっていうのは自分の経験を判断ン材料にしているよね
- 誰かが外で喧嘩しているようだ/みたいだ。
- 耳で聞いたことがヒントになっている
外から大きな声が聞こえてくる。
何人かが怒鳴っているような声です。
「あ、誰かがケンカしているな?」と考えました。

このほかにも、人から聞いた話(伝聞)のような情報も判断材料になります
- ざっと見たところ、最低500人は集まっているようだ/みたいだ。
- 目で見たこと+ざっくりとした印象がヒントに
イベント会場を見渡すと、かなりの人が集まっている。
この大きさの会場でこのぐらいの人なら、だいたい500人ぐらいかな?と考えました。

はっきりと500人と数えたわけじゃないから、推量の表現としてぴったりだね!
- 祖母は悪徳な訪問販売のうまい話に乗せられてしまったようだ/みたいだ。
- 見たこと+聞いたこと+いつもと違う様子がヒント
祖母の家に行くと、今まで見たことのない壺や高そうな装飾品がいくつもあった。
値段を聞くと、どれもびっくりするような金額!
「あ、これ多分、ほぼほぼ、騙されたな」と考えました。

ほぼ確信していることでも、断定できないなら自分の判断を表す「ようだ」が使えるんだね
推量「ようだ・みたいだ」は
- 第三者の気持ち
- はっきりとはわからないけど、自分が出した答えを言う
- ほぼほぼ確信している自分の判断
などを表すことができます
“気づかい”の「ようだ・みたいだ」
「ようだ・みたいだ」は、必ずしも“はっきりと断定できない”から使うとは限りません。
それが、婉曲的に伝える「ようだ・みたいだ」です。
たとえば、会議の前にみんなが揃ったか目で見てチェックしたとします。
「みなさん揃ったようなので、始めます。」と言えますよね。

目で確認したなら、「みなさん揃ったので、始めます」でもいいよね?

そうなんです。ここが日本語らしい使い方のポイントです。
これは「もし誰かがトイレに行っていてそれに気づいていなくて、間違っていたら失礼かもしれない」など
気づかいや「はっきり断定しない」日本人らしい“やわらかい表現”なんです。
他の例も見てみましょう。
前を歩いている女性のストッキングが伝線しているのを見つけました。
でも、直接「ストッキングが伝線してますよ!」って言うのはなんだかちょっと気が引ける。


人にもよるけど、言われた方もちょっと恥ずかしいもんね。
そんな時、「トッキングが伝線しているようです(みたいです)よ。」と伝えると、少し柔らかい感じがしませんか?
実際ストッキングは伝線しています。目で見てわかっています。
でも、「ようだ・みたいだ」を使えば、あくまで自分の判断(推量)を伝える言い方なので
「私はそう思うんですが…」のように少し婉曲的(遠回し)な表現になります。
👉“状況の確認”+“相手への配慮” が合わさった、「やわらかい言い方」としての「ようだ」です。

相手への気遣いを感じるね
👉推量というより、婉曲的表現「配慮・控えめさ・形式的なクッション」のための「ようだ・みたいだ」もある。
まとめ:「ようだ・みたいだ」は日本語らしい伝え方
「ようだ・みたいだ」は
- はっきりとはそうだと断定できないことを
- 自分の感覚(五感)や経験・体験にもとづいて
- 「こうだろう」と推量(判断)する表現
でした。
さらに、状況確認や配慮の意味で使われるとしての用法もありました。
単なる状況からの判断を表す(推量)だけでなく、日本語らしい気づかいを表すことばでもあるのです。
「断定はしないけど、自分の感覚としてはこう思う」
——そんな日本語ならではの言い方を、探っていきたいですね。
最後まで読んでくれてありがとうございます!
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